セドナとスピリチュアルについて(Sedona, Arizona)

日本では、セドナという地名は、スピリチュアルな地の代表のように捕らえられ、すいぶん有名になっているらしい。
セドナは、この赤い色をした岩で有名な場所。

中には、セドナにさえ行けば、癒され、大地からのエネルギーを多くもらえて、スピリチュアル体験もできる場所・・と考えて押し寄せる観光客も多いとか・・。
また、多くのセドナの旅行サイトを見れば、そのように書かれているところがほとんど。

そんな方々の夢を壊すようで、非常に申し訳ないのだが・・別に、セドナだけが特別のスピリチュアルな場所というわけではなく、また、すべての人がセドナに来れば、スピリチュアルに触れられる・・というわけでは無いのが現実。

では、セドナには「土地の強いエネルギー」なんてないのか?・・・と言われれば、それは、紛れもない事実!

ここも強いエネルギーに満ちた場所の1つでもある。・・・しかし、そういった場所は、セドナに限ったことではない。
人の手で荒らされず、自然のままに保管された場所、多くの国立公園などは、それぞれの、土地の固有のエネルギーを持っているし、そのエネルギーの波動みたいなものが、好きか嫌いか・・だと思うのだ。
言い換えれば、自分にしっくりくる場所、自分に、ぴったりと合った場所か否かってことだ。

もちろん、セドナには、多くのサイキック連中やアーティストと呼ばれる人たちの中には、わざわざ永住して住んでる人もいる。また、多くのセレブリティーたちの別荘もある。たしかに、ある種の人々をひきつけてやまないものが、セドナにはあるようだ。彼らにとっては、ここの地こそが、自分にぴったりの場所だったからだろう。
しかし、他のサイキックやアーティースト連中に聞いてみれば、実に、さまざまだ。

セコイアの木々に囲まれたところの方が落ち着くという人も入れば、シャスタ山が一番インスピレーションを感じる!と言う人や、中には、セドナの写真を見てるだけで、気分が悪くなるって人までいる。(笑)

また、あの赤い岩が気持ち悪い、落ち着かない!信州の山奥の景色の方が、数倍癒される!って人まで・・・実にさまざまなのだ。

つまり、セドナは、スピリチュアルなメッカであり、そこに行けば、すべての人が癒され、新たな変容をもたらす土地・・などといった、ニューエイジ的な宣伝には、惑わされないことだろう。

「そうかもしれない。しかし、人によっては、そうでないかもしれない!」ということだ。(笑)
たしかに、ある種の強い土地のエネルギーはある。
しかし、あくまでも、スピリチュアルという事をテーマにした場合、セドナに何も感じない(もしくは、嫌い!)と思う人は、必ず、別の、自分に合った場所があるはずだ。
それでも、観光としても十分に楽しめるので、一度は、行ってみる価値はある。

まず、セドナに行くには、多くの人は、南に位置するアリゾナの州都、フェニックス(Phenix)から向かう。17号線を北上していくと、赤い岩がゴロゴロと見えてくる。

わ〜!すごい!と、まずは、びっくりすることだろう。
日本には、こんな赤い場所は、ない。
赤い色ということは、大地に鉄分が多量に含まれているということだ。




写真上・左
ここは、ベルロックと呼ばれる。
たしかに、ベルの形をしていて、ボルテックスの1つとされている場所だ。

右は、シュネブリーヒルズ
ここは、4大ボルテックスには、入っていないようだが、良いエネルギーを感じる場所として人気がある場所でもある。ボルテックスとは、渦巻きというような意味があり、大地から強いエネルギー(気)が渦巻きのように、放出されている場所のことをいうようだ。強い磁場のひとつでもあるようだ。

1980年代に、超能力者のペイジ・ブライアントによって発見されて、ボルテックスと名づけられたのが初めだそうだ。セドナには、有名な4つのボルテックスがあり、観光名所としてツアーが多く出ている。(詳しくは右サイドバーの「ボルテックスについて」参照)


セドナは国立公園ではなく、赤い岩に囲まれた、ごらんのような街。
小さな街ながら、設備の行き届いたホテル、オーガニックのスーパーマーケット、ビーガンのレストラン、小さなアートギャラリーやら、スピリチュアル系でお馴染みの、タロットカード、オーラソーマ、リーディングといったところもあるし、もちろん、天然石(パワーストーン)を売ってる店も多い。
ニューエイジ系(日本で言うところの、スピリチュアル系)がセールスポイントとなっている街なのだ。

そのため、オーガニックフリークやスピリチュアル系大好きな人々で、そこそこの、こじゃれた観光地を望む人には、まさに、うってつけの場所でもある。

注:日本のサイトで見かける、「セドナ産のホワイトセージ」という広告があったようだが、セドナでは、ホワイトセージは採れない!おそらく、セドナがスピリチュアルなイメージなので、それと勝手に結びつけたインチキ広告なのでご注意。

日本人観光客の場合は、多くは、旅行会社が提供する「スピリチュアル体験・セドナ」をテーマにしているため、日本語が話せる霊能者を訪れてリーディングをしてもらうというツアーコースを利用する方が多いと聞く。

霊能者(ヒーラー)の選び方
もしも、セドナの土地に何かを強く感じるものがあり、とっても気に入った人ならば、ここのヒーラーに見てもらうのもいいだろう。しかし、特別何も感じない人の場合は、あえて、セドナのヒーラーを選ばない方がいいのかもしれない。 なぜなら、土地のエネルギーも、ヒーラーにも、相性や方向性というものがあるように思えるから。

スピリチュアルというテーマを離れて、ただのアウトドアとして、ボルテックスの「岩登り」を楽しんでみるという楽しみ方もある。そこで、何かを感じる人は感じるだろうし、感じない人もまた、アウトドアとして大いにリフレッシュできることだろう。

小さな観光地ではあるが、たかが観光地の山歩き(岩歩き)などと、侮ってはいけない。それなりのハードさもある。ハイキング用、またはと登山用のシューズは必須。 出来れば、午前中に出発している地元のツアーに参加することだ。

くれぐれも、昼過ぎから個人で行かない方が望ましい。天気は変わりやすくなり、晴天の日でも、急に雨が降りだせば豪雨となって、道を戻れなくなく危険性もある。個人で行く場合は、無理をせず、天気が怪しくなったら、すぐに引き返すこと。(遭難する恐れもある。)

◆セドナの歴史について
数億年前、ここは海の中にあり、それが、少しずつ、地殻変動を繰り返し、海の中から次第に、陸へと姿を現した場所であることは、たしかなようだ。
しかし、過去1万年くらいの歴史は、はっきりしていない。
紀元前8000年ごろからの、ペトログリフや遺跡が残っている事から、数種類の部族が住んでいたことは確かなようだが、彼らは、どこから来て、どこに行ったのか?なぜそこを捨てたのか、また、そこで何が起こったのか・・は、謎のままなのだ。

現在、一番信憑性がある説とされているのは、
かつて、北アメリカとアジアが、陸続きでつながっていた頃に、最初のアジア人が、北米に渡ってきて、各地に散らばり、移住したとされる説。
氷河期の終わり、紀元前5000年頃ベーリング海峡を経たユーラシア大陸(東シベリア)と北米(アラスカ)が陸続きになっていたときに移動しながら狩猟をして暮らす遊牧民族のグループが北米に渡ったとされている。その一番、最初の人々を、パレオ・インディアン(Paleo Indian)と呼ぶ。
狩猟生活をしながら、移動してくるといっても、なんとまあ、過酷な土地を渡ってきたことだろう。

次に、ホホカム族による(Hohokam)文化と呼ばれる痕跡もある。北アメリカ南西部の砂漠地帯(アリゾナ州南部)に発展したアメリカ・インディアンの先史文化で、開拓期(前100‐後500),植民期(500‐900),定着期(900‐1100)および古典期(1100‐1400)に分けられているのだが、だいたい、500年から700年の間に、次に現れたのが、アナサジ族(Anasazi Indian).

アナサジ族というのは、非常にミステリアスな人々だったようで、とくに天文学には秀でていたようだ。
あるペトログリフ(岩面に彫刻をして絵などを書いたもの)には、地球、月超新星爆発、ハレー彗星の相関関係などに触れたものまでが、あるそうだ。

アナサジ文化は西暦紀元に始まったと言われるが、その文化の最高潮だった頃には村や重要な祭祀所 を結ぶ真っ直ぐな道路(道幅が9メートルに及ぶものもあり)が、延々と300キロにも達するところもあるそうだ。
彼らの大きな遺跡とされている、チャコ・キャニオン(Chaco Canyon)、アステク遺跡(Aztec Ruins)、ソロモン遺跡(Solomon Ruins)、ケイサス・グランデ(Casas Grandes)に至る、約620キロの全てが、西経108度の線上に並べられている。

それが、何を意味していたのかは、現代の人間には、解明できない謎でしかない。

その後、ナバホやアパッチの部族の侵入により移動を余儀なくされたのが、アナサジ族は、忽然と姿を消してしまう。
しかし、ある説によると、ホピ族の祖先に当るのでは、ないか・・という説もある。
なんらかの理由で、ひっそりとトウモロコシを作って生活するような生活パターンに変えたのかもしれない。
現に、アナサジ族にとっても、とうころこしの持つ意味は、単なる食料の糧というだけにとどまらない、世界観を表わすものでもあるようだ。
アナサジという名前は、ナバホ族によって、つけられた名前で、「我々とは違う古代の人々」というような意味だそうだ。

次に、シナグア族(Sinagua Tribe)が、セドナのあたりには、900年から1000年位の期間に住んでいた形跡があり、遺跡が残されている。南米人によって、水の無いところに住む人々、乾いた土地の人々という意味で、シナグアと呼ばれたそうだ。
彼らは、主に、他の部族と交易をして生計をたてていたようだが、南米の人々との交易がもっとも盛んだったようだ。

1060年に、サンセット・クレーター(右図)が形成されるほどの大噴火があり、それを期に、彼らは、どこかに逃げて行ったか、または、その後、他部族による襲撃があったのか・・原因は、定かではないが、1300年代には、忽然と、この地から姿を消している。
また、シナグア族も、アナサジ族の末裔ではないかという説もある。

結局のところ、パレオ、ホホカム、アナサジ、シナグア族といった、古代の原住民たちが、すべて姿を消してしまっている土地であり、何があったのかは、さっぱりわかっていない、不思議な場所でもある。

セドナ周辺の先住民の遺跡には、下記のような場所がある。

◆トゥジグート国定公園(Tuzigoot National Momument)

眼下を見渡せるような、小高い丘の上にあり、近くに川が流れ、ここは砂漠のオアシスだったかのようだ。

この付近では、銅、アズライトなどの鉱物が豊富で、シナグア族はそれを他の部族達とトレードしたりして生計を立てていたらしい。最盛期には、250人くらいの人々が暮らし、80室くらいの部屋があったそうだ。

15世紀に、シナグア族が去った後、白人の移住者達が鉱山を開拓し、その鉱山労働者達が集まって出来たのが、この先にあるジェローム(Jerome)の町だそうだ。
(ジェロームについては、お化けの町として、別コーナーで紹介しましたね。参照してください。)

左図は、ジェローム銅山で産出されたアズライト・マラカイトという石。結晶していない群青色のアズライトとマラカイトが1つになっているもの。
地中でのアズライトは将来的にマラカイトに変化していくのだが、その途中のため、グリーンがかった色合いのものがある。銅を含めば青になり、鉄を含めば赤になる。・・・セドナの岩山の赤とは対照的だ。

◆モンテズマ・キャッスル国定公園(Montezuma Castle National Monument)

こちらは、トゥジグートとは異なり、12世紀はじめに、シナグア族が岩壁に建てた居住地。高さは約30メートル、石灰岩で出来た絶壁に5階建ての構造を持つ。まるで、要塞のようだ。

この付近には、ビーバークリークと呼ばれる、小川が流れていて、シナグア族の人々は、なんと、灌漑工事をして、そこから水を引き入れ、農業も営んでいたようだ。
主な作物は、とうもろこし、綿花、スクワッシュ(かぼちゃの一種)、豆など。

小さなトレイルがあり、その散歩道は緑が溢れ、すがすがしさで溢れている。また、右は、モテズマ・ウェル(MontezumaWell)と呼ばれる、自然の泉(井戸)がある。シナグア族や動植物にとっても、貴重な水源だったことだろう。 現在でも、日曜日はバードウォッチングが出来るようで、過酷な土地の中にあって、ここは、楽園を思わせる場所でもある。
また、このモンテズマの洞窟のどこかに、精霊の声を聞く場所として、神聖な場所とされてるところがあったようだ。


◆ウパキ国定公園(Wupatki National Monument)
セドナ住民に、近郊で一番のお勧めの場所を聞くと、このウパキの遺跡を勧める人が多かった。


今までの遺跡は、すべて水源のそばにあったのに対して、ここは、完全に荒涼たる砂漠の中。
水はいったいどうやっていたのか・・不思議なのだ。
セドナより北上し、サンセットクレーターを過ぎて進むと、突然に視界は開けて、一面の砂漠が広がる。その遺跡群がウパキ国定公園だ。

地元では、ウパキではなくワパキと発音する人が多い。(本当は、どっちが正しいのかは不明だが。)

ウパキ国定公園内には、主にプエブロ族の800以上もの遺跡があるらしい。しかし、公開されているのはウパキ(Wupatki)、ウコキ(Wukoki)、 ロマキ(Lomaki)、シタデル(Citadel)、ナラキル(Nalakihu)の5つの遺跡群のみ。


忽然と建っているのは、ウコキの遺跡(左)、遠くに見渡せるのは、サンフランシスコピーク(右)


サンフランシスコピークは、当時のプエブロの人々にカチーナ(精霊)が住んでいる場所と言われていた場所だ。現在では、スキーリゾートとして知られているが。
プエブロ住居跡を歩き、遺跡に立って、遠くのサンフランシスコピークを見ていると、不思議な国にタイムスリップしてしまったかのような気分がしてくる。


ウパキ国定公園の一番最初の大きな画像が、ウパキの遺跡の全景で、これはその一部。ウパキは一番大きな遺跡でもある。そもそも、Wupatki ウパキは、プエブロの言葉で、大きい家という意味があるらしく、名前のとおり、当時、100室以上300人以上の人々が生活していたようだ。

↑これは、通風孔
この遺跡の端にある。

通風孔からは、夏は涼しい風が入り、寒くなれば暖かい風が入るように作られている。この地下にある、自然の地下坑道口を利用して、実によく設計されている。彼らは、そうしてこんな事まで、知識として持っていたのだろうか?


シタデル遺跡とナラキフ遺跡(Citadel and Nalakihu)

後方に見えるボックス型の遺跡がシタデル、手前の小さめの遺跡がナラキフ。
ナラキフは、House Standing Outside the Village・・「村の外に立つ家」というホピ語だそうだ。
シタデル遺跡は、30室からなり周囲には10の遺跡が取り囲んでいる。
シタデル遺跡とナラキフ遺跡は、アナサジとシナグア族の遺跡。

ロマキ遺跡(Lomaki Ruin)

ロマキとは、プエブロ語で"beautiful house"「美しい家」という意味なのだそうだ。


さて、こうやって、歴史に沿って遺跡を回ってみるとわかるように、なぜ、これだけの遺跡を残しながら、彼らは、みな消えてしまったのか、実に不思議なのだ。(そのあたりに、ひょっとしたら、セドナの土地の持つエネルギーの秘密、また、一部の人を熱狂的に魅了する秘密があるのかもしれない。)

その後にセドナに移住してきたのは、有名なナバホやアパッチといったアメリカインディアン達でもなく、先住民は誰も住んでいない状態のままで、近代になって、ヨーロッパ移民が移ってきたときから、セドナと名づけられ、新しい歴史が始まる。

◆セドナの近代史
1853年になって、ヨーロッパからのやってきたのが、アントニオ・デ・エスペロという男で、金鉱や銀鉱の発掘が目的だったようだが、結局、見つからず、その代わりに美しい自然と、住み易い気候の地であることを発見したようだ。

その後は、多くのガイドブックでも紹介しているとおり、 1900年近くになると、初めて、数人の白人が入ってくる。果実栽培と牛の牧場経営としてこの地にやってきたようだ。
1902年、カール・シュネブリー(夫)とセドナ・シュネブリー(妻)が ミズーリ州より移り住み、郵便局がなかったこの街にカールが郵便局を設立した際、妻の名前の「セドナ・郵便局」と名付けとのをきっかけに、セドナという地名がついたというのは、有名な話。

◆オーククリークキャニオン(Oak Creek Canyon)とシーニックドライブ89A
セドナから北上し、フラグスタッフに向かうには、2つの方法がある。距離にすれば、せいぜい30キロ程度。1つは、フリーウェイの17号線を使うもの。(これは、ずっと南は、州都のフェニックスに続いてる道)。 もう一つ、ぜひ、お勧めなのは、89Aという道だ。

この道は、オーククリークキャニオンをとおり、その名の通りセドナ大地を潤すオーククリークが流れていて、峡谷には緑も多くみずみずしく、トレイルなども多くある。 この道は、シーニックドライブとしても有名で、ヘアピンカーブの場所があったり、運転も実に楽しい。
フラグスタッフに近づくにつれて、いつのまにか、セドナの景色と違ってくる。赤いむき出しの大地が、いつのまにか、緑溢れる針葉樹に変わり、森の香りに包まれる。 ここは、セドナより6000フィート(1.83キロ)以上も登った場所になるため、空気もがらっと変わってくるのだ。

セドナの楽しみ方は、決してスピリチュアルに限らず、バラエティーに富んでいる。

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