ラスベガスといえばマフィア!(マフィアの時代)

禁酒法が解禁されるあたりから、マフィアたちは、どんどん勢力伸ばし、ハリウッドで盛りあがってる「ロサンゼルス」は、マフィアにとっては、大きなターゲットとなったのだ。

1937年、バグジーが、マイヤー・ランスキによってロサンゼルスに送り込まれてくる。
(マイヤー・ランスキーは、大物マフィア『ゴッドファーザーPARTII』に登場するユダヤ系ギャング・ハイマン・ロスはランスキーがモデルとも言われている。)
初めのうちは、バグジー(本名は、ベンジャミン・シーゲル)もロサンゼルスで手広く仕事(もちろんマフィアのお仕事)をしていた。(右写真が本物のバグジー)

ところが、翌年1938年、ロサンゼルス市長が徹底したマフィア撲滅運動をはじめる。
それを機に、ロサンゼルスにいたマフィアたちは、とりあえずラスベガスになだれ込むことになる。
マフィアにとって、ロサンゼルスと違って、腑抜け政治家しかいなかったベガスは、格好の稼ぎ場所だったのだ。

バグシーもラスベガスに移って、カジノクラブとカジノホテルの買収に着手。
買収というと聞こえはいいのだが、実際には、暴力と恐喝で上納金を収めさせて、そのうち、ちゃっかり共同経営者になっちゃう・・というのがマフィアの常套手段。
実際のバグジーは、映画「バグジー」とは、かなり違っている。 短気で激情型、あんまり頭が切れるわけじゃないが行動力と思い切りだけはいい男で、一匹狼のマフィア。 もちろん、バグジーが「フラミンゴホテル」を考案して作ったってのも間違い。

1945年、ハリウッドの起業家、ビリー・ウィルカーソンという人が、 が最初にフラミンゴホテルを考えた。彼は、もともとはハリウッドのゴシップ紙を発刊させて有名になった人物で、ハリウッドでレストランやラウンジも経営していた。
また、自分自身、かなりのギャンブル依存症だったようで、アロウヘッド湖畔(ロサンゼルスから車で3時間くらい)にあったアロウヘッド・スプリングス・ホテルの経営を大成功させている。

当時のロサンゼルスは、ギャンブル追放運動のため、競馬以外は合法的に出来なくなっていたのだ。
そこでウィルカーソンは、合法的な「リゾート&カジノホテル」をラスベガス(現在のストリップ地区)に建設することを考えた。(規制の厳しくなったロサンゼルスを逃げて大儲けをたくらむのは、ベガス!って事だったんだろうね。)
しかも、超豪華で画期的なハリウッドの社交場となるようなホテル!の建設を目指すのだ。

しかし、それには、金!カネがかかる!投資家を集めてもなお資金繰りに苦労することになる。(この時の投資家の一人に、すでにハワード・ヒューズがいたようだ。)
しかし、どうしても資金繰りができない!もう、諦めるしかないかも・・というとき、ここでマフィアが介入。

1946年、マイヤー・ランスキ(マフィアの幹部)がフラミンゴホテルの将来性に目をつけ、足りない分の資金を出す代わりに、かなりのシェア権を獲得してしまう。さすが、やり手マフィアの大親分!(写真右)
ここで実質的には、ホテルは、マイヤー・ランスキーのものとなる。(彼は、実に頭の切れるマフィアであり優れた投資家でもあった。)
のちに、ランスキーは、ラスベガスを取り仕切るボスとして君臨するが、安全な治安の良い街に変えるべく努力する。(さすが、大物!)
しかし彼は決して表には出てこない。
投資は、ランスキー自身も多く投資しているが、彼の呼びかけで、ニューヨークのマフィア仲間やハリウッドの友人など多くが出資。 「ネバダ・プロジェクト・コーポレーション」という母体を設立して、建設を進めることになる。

ランスキーはここで、バクジーを送りこむ。(自分は表には出ないで、バグジーを送り込んだってわけだ。)
バグジー登場。フラミンゴホテルの筆頭株主はバグジーとなる。
バグジーは、ハリウッドのキンキラキンのゴージャスな世界に魅せられていたため、この仕事には、かなりの燃えた。
フラミンゴをハリウッド風のゴージャスなホテルにして、著名人がいっぱいやってくる夢のホテルを作り上げることに燃えていたのだ。

ところが、バグジーは、あまりにも熱を入れすぎ、建設のすべてにこだわり続けるため、工事は遅れ当初の見積額はどんどん膨れ上がる。(困ったことに、あんまり計算が出来ない人だったようなのだ。)
しかも、戦争下にあった為、資材の高騰もさることながら、ギャンブル狂のバグジー自身も、ちゃっかり着服していたようだ。
(のちのバージニア・ヒルの日記によれば、オープニング費用の3分の1を着用してたらしい。)

バージニア・ヒルは、バグジーの愛人とされてた女性で、通称フラミンゴ。映画の中でフラミンゴホテルは、バグジーが、彼女にちなんで付けた事になっていたが、本当は、発起人のウィルカーソンによって、すでに決められていた名前だったようだ。
ちなみに、バージニア・ヒルは、単なるバグジーの愛人ではなかった。多くの著名なマフィア連中と親交があり、スパイであった可能性が高い。
もっともバグジーの方は・・・「ワルだけど、単純でお人よしのバグジー」は・・バージニアを夢にも疑ってなかったフシがある。(うーーむ、本当に自分の女と思い込み、愛していたのかも・・・。)

資金はどんどん足りなくなり、株主の知らぬ間に、資金作りのため株券をどんどん売っちゃうし・・・当然、バグジーは多くのマフィアの恨みを買うことになる。

1946年12月、フラミンゴホテルのオープン間近に、キューバのハバナで、「ハバナ・コンベンション」が開かれた。
これは、アメリカの大物マフィアたち総勢30名の会議で、ここでは2つの議題が話された。
1つ目は、超大物マフィアの「チャールズ・ルチアーノ」(通称、ラッキー・ルチアーノ)が、国外追放になっちゃった為、その後継者を巡っていざこざが起こってたこと。
2つ目は、バグジー・シーゲルの進退問題。

フラミンゴホテル建設に当たっては、多くのボス達はマイヤー・ランスキの仲介によって、追加の資金をどんどん出資させられていた。 なのに・・その金の一部をバクジーは着服した・・・・その罪により、全員一致でバグジーに死刑が決定。
(進退問題といっても、マフィアのコンベンションでは、裁判と実刑判決まで行われてしまうのだ。)

もともとバグジーは一匹狼で、敵も多かったので、これを機会につぶしにかかろうとするボスも多かったようだ。
つまり、彼は敵だらけだったのだ。
(一匹狼ならば、もっと上手に立ち回ればいいのに〜・・しかし、それが出来ないのがバグジーでもあるのだ。) 唯一、古くからの友人で、超大物だったマイヤー・ランスキーが、 「せめてホテルがオープンするまで待ってやって、計画通りに資金が回収できるまで猶予期間を設けてやって欲しい」と進言。(いいヤツじゃないか!大親分、マイヤー・ランスキー!)
一目置かれてる彼の言葉に、他のマフィア幹部も不承不承、承知するしかない。

1946年12月26日、フラミンゴホテル、いよいよグランドオープン。
同時に、バグジーの運命、瀬戸際!
翌27日(金)からの週末を、「ハリウッド・ナイト」と名付けてハリウッドの著名人を招待し、それに惹かれて、多くの一般客も呼び込もうという戦略。さらに、大々的な広告宣伝、最新のチャーター機に、超ド派手なオープニング・セレモニーで、これでスタンバイオーケーとなった。

ところが12月25日、ラスベガスに大雨が降る。めったに雨が降らないラスベガスなのに・・まるで、呪われているかのような雨。。。 空港も道路も水浸しで使えなくなり、ハリウッド著名人のキャンセルが相次ぐ。
結果は・・・オープン後、約2週間で10万ドルもの赤字。(バグジー危うし!)

しかし、どうみてもこの数字はおかしいのだ。多くのキャンセルはあったものの、ある程度の客は確保できていたはずなのだ。
実は、バグジーを死刑に追い込みたがっていた連中が、カジノディーラー達に、ごまかし操作をさせていたのが原因だったらしい。

その後も、バグジーは、どんどん華々しいスターを呼んで、必死で多くの客を集めるのだが、ちっとも赤字は解消されない。
やはり強い反対派の裏工作は、あいかわらず続き、赤字経営は免れなかったのだ。(ここらで、バグジー、気がつけよ!・・しかし、数字が苦手だったバグジーには、無理だったのかも。)

当然、多大な客が入ってるのに赤字なのは、やっぱりバグシーが横領してるからだ・・と、ニューヨークマフィアは疑いだし、シカゴマフィアは、もともと、電信サービスを掌握しているバグジーが目障り。
結局、両マフィアは、バグジーに横領の罪を着せて死刑を決行してしまえ!・・という事になる。
さすがに、マイヤ・ランスキも、もう、かばいきれない!
バグジー、最大のピンチ!!

1947年6月20日午後10時45分、ビバリー・ヒルズのヴァージニア・ヒル宅のリビング・ルームで、9発の銃弾を顔面に撃たれ暗殺された。
享年42才だった。(あーあ。。。)

なお、このとき、愛人とされていた、ヴァージニア・ヒルは、4日前からパリに行って留守。
シカゴマフィアのスパイだった彼女は、バグジーの暗殺について、事前に知っていたようだ。

1950年には、州政府はラスベガスを牛耳るマフィア組織の追放に本腰を入れはじめ、キーフォーヴァー委員会(州にまたがる商業犯罪を調査する為の上院特別委員会)が始まることになる。
(ここにきて、ネバダ州も、ようやくマフィアの取り締まりに積極的に動き出す。) 結果的に、この委員会は、マフィアの組織を世に知らしめてマフィア撲滅に向けての民衆の支持を勝ち取ることになるのだが・・。
まず、そこに、ヴァージニア・ヒルは証言するために召喚される。
全米にテレビ中継することになり、特に、ヒルの 証言は人々の関心を引いて、ニューヨークで視聴率86%にまでなっていたそうだ。

「なんで、あなたはシカゴマフィア内部の上層部に入り込むことができ、莫大な収入を得ているのですか?」の質問に対し、
「Senator, I'm the best goddammed cocksucker in the world.」と答えたそうだ。。。(うっ!あえて翻訳はしないことにします。(笑))
結局、ヒルはバグジーの愛人であった事も彼のコネクションを認知していることも否定した。
ヒルは「バグジーの愛人はあのラスベガスのホテルよ!」と強く主張したのだ。
彼女はまた、フラミンゴのオープン資金横領やバグジー殺害にも関わっていたのではないか、という疑いもかけられた事もあったが真相は闇の中。

米国国税庁(IRS)はヒルが50万ドルを脱税したとして彼女を告訴し、それを逃れるかのように、彼女はオーストリア人と結婚してヨーロッパに渡ってしまう。
その後、貯金が底をついてきたヒルは、旧友に彼女の日記との交換で巨額の資金提出を申し出る。
(この日記には、ヒルの知ってるすべてのマフィア情報が書かれていた。)
しかし、それを前後に、睡眠薬自殺。
1966年3月24日、ヒル死亡。

どうも、この自殺はいくつか、胡散臭いところがあるようだ。 ひょっとしたら、自殺に見せかけた他殺? 日記への巨額な代金を踏み倒すため?または知りすぎていた彼女の口ふさぎのため?、刺客が送られたのかもしれない。 すべては・・闇の中だが。

ラスベガスは、この後も、まだまだ、ず〜とマフィアによって仕切られることになる。 そこに、ハワード・ヒューズが登場することになる。

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