ラスベガスの誕生

現在のラスベガスは、大きく3つのエリアに分かれている。
●古くからある「ダウンタウン地区」
●ストリップと呼ばれる、豪華ホテルが並ぶ地域。
(特に、ストリップ大通りとフラミンゴ通りの目抜き通りが交差するあたりは「 フォーコーナーズ」と呼ばれる一等地)
●住居地区。

ラスベガスの語源の「ベガ」は、スペイン語で「肥沃な草原」、これに女性定冠詞(複数形)を付けて「ラスベガス」となったという説と、もともと、その土地にいた先住民がベガと呼んでいたのが始まりという説がある。

1800年頃、砂漠の真ん中に地下水が湧き出るオアシスがあった。これがちょうど現在のダウンタウン地区にあたり、そのオアシスの周りには、わずかに先住民の部族が住んでいたに過ぎなかった。
1828年、スペインの毛皮商人アントニオ・アルミホ率いるキャラバン隊が、ニューメキシコのサンタフェからロサンゼルスに向かう途中に、このオアシスを発見。
このオアシスはその後、サンタフェからロサンゼルスへの砂漠を行き交うキャラバン隊の給水地 となり、
同時に、ソルトレイク・シティとサン・ベルナンディノを往来するモルモン教徒達の給水地にもなった。

1850年あたりから、ゴールドラッシュ の時代。
一攫千金を夢見る荒くれ男たちがカリフォルニアを目指して行き交う途中の給水所となる。そのうち、テントを張って宿泊所となれば、当然、商売を始める者が現れ、鉱脈が発見されるに従って次第に人が増えてくる。
西部の荒くれ男たちが集まれば、まずは博打。(すでに、ここでギャンブル場の下地が出来たようだ)博打とくれば、それに伴って酒と女! バーや売春宿が出来上がる。金鉱成金に無法者がいっぱいの、まさに「ワイルドウエスト」だったのだ。

1902年、モンタナ州の知事であったウィリアム・クラークが、泉が湧き出るこの土地を55,000ドルで購入。ただし、この頃はまだ、砂漠の真ん中でサボテンとガラガラ蛇しかないような土地。
(*現在の「クラーク郡」は、彼に名にちなんでつけられた。)

1904年、ラスベガス付近のゴールド・フィールド、イーリー、トノパの地で鉱脈が発見される。それによって、ラスベガスも黄金狂の街となる。

1905年、クラークは、この土地に鉄道を敷き、蒸気機関車を走らせ駅を作り、土地を小区画にして25万ドルで売却。
(さすが、地名に名が残るだけあって、先見の目がある投資家だったようだ。)

1906年 鉄道が敷かれると、ラスベガスで初のカジノホテル「ネバダホテル」がオープン。たった3室しかなく電気も水道も無いホテルだったけど・・それでも初ホテルなのだ。
ちなみに、現在は「ジャッキー・ゴーハンス・プラザホテル」として経営されている。部屋数は1037室になり、1階は長距離バス(グレイハウンドバス)と長距離鉄道の駅。
映画「「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で、ビフが建てたホテルとしても登場している。

1930年初め、禁酒法解禁とギャンブル解禁になる。
当局がギャンブルを取り締まりをしたところ、ネバダ州から人が流出し財政にも大影響、それに・・どうせ禁止したところで、地下に潜ってギャンブルは行われるだけで、胴元の懐が潤うだけで、税収はとれない・・・それなら、いっそのこと、解禁だ〜!・・・まあ、そんなところが理由となったようだ。

最初のカジノサロンとしてライセンスを受けたのは、ダウンタウン地区、フリーモントストリートにあるノーザン・クラブ
(*フリーモントストリートは、1844年に足を踏み入れたルート開拓者である「ジョン・フリーモント」に由来する。)
鉄道は敷かれ、カジノは解禁となりホテルが出来ても、やはり、ラスベガスは、砂漠のど真ん中の、怪しげな田舎町に過ぎなかった。 人口もたったの800人ほど。
ちなみに、この当時は、ネバダ州のサンフランシスコに近いレイクタホ・リノ地区の方が、ずーーとギャンブル街としても栄えていたようだ。

1035年、フーバーダムの完成
これによって、ようやく水と電気の安定供給され、建設に従事した者たちがラスベガスに住み始め、ギャンブルでお金を落としてくれるようにもなった。ここから一気に発展していくことになる。
万歳!フーバーダム!

さて、ここらへんからマフィアが介入していくようにもなる。「マフィア全盛時代」なのだ。


摩訶不思議の街・ラスベガス

マフィアの時代へ続く