スティーブン・ウィン

次に登場してくるのが、スティーブ・ウィン。
何をした人かというと・・「ラスベガスに新風を巻き起こした男」
だんだん低迷してきたラスベガスに、カジノ客だけじゃなく「老若男女誰もが楽しめる究極リゾートにして、客をいっぱい呼び込もう」と試みて、大成功させた男。

この人は、東部のコネチカット州のニューへブンの生まれ。
もともとスティーブン・ウェインバーグという名前だったのだが、ユダヤ系への人種差別を避けるために、父親がウィンと苗字を変えたようだ。ニューヨークで育ち、プライベートスクールを出てペンシルバニア大に入る、まあ、いわゆるお金持ちの家。

彼の父親はイーストサイドで数件のビンゴパーラーを経営していた。しかし、彼が21歳のとき、父親は35万ドルの負債を残して病死。 父親のあとを継ぐことになったウィンは、まず、ラスベガスのニューフロンティアホテルの株を買うことで金を増やしていく。

1967年に、ラスベガスに移り住み、ワイン&リカーの輸入会社を所有する。
そこから得た利益で、1971年、シザーパレスやゴールデン・ナジェット・ラスベガスの株を買う。
それが、ハワード・ヒューズの買収のおかげで大儲けすることになる。

さらに、31歳のときには、フリーモント・ストリートにある、ゴールデン・ナジェットを手に入れ、それを改築することで、ダウンタウンにも上層階級の客を呼び込むことになり、またまた大儲けとなる。

ここから、現在のストリップ地区にむけての大掛かりな大改築が始まる。

1989年、ミラージュホテル
ストリップ通りに面して、火山を作ってしまい、誰でも無料で、どーーんと爆発する火山のショーが見られるようにしたのだ。
正面玄関を入ると、緑に覆われたジャングル、さらにカジノを抜けると、ホワイトタイガーやイルカもいる。
シルクドソレイユの人気ショーを最初に呼んだのも、彼なのだ。
実質的に、ここが、元祖アトラクションホテルとして、当時は異色のホテルとなった。

1993年、トレージャーアイランドホテル
このホテルは、なんと、ミラージュのお隣にオープン
テーマはカリブの海賊で、スティーブンソンの「宝島」をイメージして作った。名物のドクロの看板をどーんと置き、無料アトラクションは、ド派手な海賊船の戦い。
毎晩、海賊船と政府軍のバトルアトラクションが行われ、超人気となった。

1998年、 ベラージオホテルがオープン
テーマは北イタリアのコモ河畔(べラージオは実在する地名)
このホテルのシンボルとなっているのは、コモ湖をイメージした巨大な湖で、広さは5万平方メートル。
それを、超一等地にどーんと作ってしまい、無料のアトラクションとして、噴水ショーを見せてくれる。
「ベガスの一等地に無用の長物を作ってしまう」・・その発想が、そもそもウィンの非凡さなのだ。
ここは、今でも観光客の大人気スポットとなっているのだ。

このホテルの総工費は16億ドルとも言われ、世界一、金のかかったホテルとして有名になった。
もちろん、内装やレストラン、ショーに至るまで、それまでの「カジノ・ホテルのイメージ」を払拭して、厳選したハイクオリティーでまとめて挙げたからだ。

とにかく、スティーブ・ウィンという人、あっけにとられるような発想の持ち主で、それまでのギャンブル中心のラスベガスをがらっと変えてしまった人であり、また、ビジネスの常識も軽〜く打ち破ってしまった人なのだ。
もっとも、常識破りでなければ「鬼才」にはなりえないのは世の常か。

ここで、ちょっと彼のパーソナリティーなどを見てみると・・かなりのアートコレクターでもある。ピカソ、ゴッホなどの名画をオークションで落札してるのだ。
●2006年に、ピカソの「夢」を別の収集家に1億3900ドルで売却する予定だったのに、うっかり、肘鉄食らわせてしまって、穴を開けちゃった・・ってエピソードがある。もちろん、名画は修理されて、今でも自分で持ってるようだ。(そりゃ、もう売れないだろ。)
●また、彼の妻、エレインとは1963年に結婚して86年に離婚。そしてまた、彼女と91年に結婚して2009年に離婚。ゴシップ紙によるとさて、彼らの3度目の結婚はいつになるんだろ?と書かれてあった。

鬼才のビシネスパーソンには、常に夢を追いかける子供が共存していて・・彼にとっては、ピカソの名画ですら「わくわくさせるおもちゃ」なのかも。。。

ウィンの言葉 「ラスベガスそのものが夢なのです。ゲストはこの街にくれば、あらゆるものから開放されて自由になりたいものになれるのです。」 まさに、彼自身が、この言葉どうりの人生を突き進んでいる気がする。
ラスベガスを、「ごちゃまぜのおもちゃ箱をひっくり返したような街」に変身させてくれたのは、まさに、彼のおかげだ。

ラスベガスのその後

べラージオ
2000年 ウィンのべラージオは、業績が悪化してきて、ライバル社のMGM Grandに買収される。
さらに、2005年に、Mandalay社も吸収合併して、べラージオもマンダレイベイと同系列になる。
2010年、MGMの社名も、正式には、MGM Resorts International に変更。

べラージオの噴水以外で、もうひとつの目玉となっていたのはアートギャラリー。ウィンがせっせと集めた名画、ゴッホ、ピカソ、セザンヌ、モネなどが、総額4億ドルあったのだが、MGM社になったとたんに、ほとんどを処分。 「利益を生み出さない資産はさっさと処分」というのが、MGMの経営方針。

トレージャーアイランド
ド派手なアトラクション「海賊船の戦い」を目玉にしてた、このホテルは、2003年を境にガラっとイメチェンする。
名物の海賊マークのサインもなくなってしまった。(写真右)
まず、ホテル名が、TIと変わる。
この理由として
●テーマが「海賊」だと、大人にはイマイチ、子供しか喜ばない傾向がある。
●内装や料理に至っても、海賊がテーマだと限界がある。(テーマがエジプトやパリと比べれば、かなり制限されてしまうだろう。
●リピーター獲得が難しい。

こういった理由から、ホテル名を、なーんとなくテーマを曖昧にするべく、TIとしたようだ。
まったくガラっとイメチェンするわけにもいかないし、これなら幅を持たせることもできる・・という中庸の策だろう。
名物の海賊船アトラクションは、The Sirens of TIと変えて、ちょっとセクシー系のショーとなっている。
セイレーンはギリシャ神話に出てくる人魚のような美女。 (このショーは、ただの人間にしか見えないんだけど・・・。)

90年代に、ウィンが、テーマを持たせた画期的コンセプトが 、すでに、この時点で古くなりつつある表れだろう。
テーマがあれば、最初は「わおお!!」と感動するだろうが、2度3度は続かない。
人は、新しいテーマをさらに求めることになるのが常。また新しい経営戦略を試みるにしても、今度は「テーマ」があれば、それに縛られ発展性が望めなくなる。・・・そんな事からラスベガスにおける「脱テーマ傾向」がここから始まったようだ。

2005年4月、「ウイン・ラスベガス」がオープン
ウィンが、自分の名前をつけただけあって、そりゃ、もう彼の意気込みを感じる豪華ホテル。
それまで、No.1と言われたベラージオなんぞ、なんのそので、27億ドルの総工費をかけた45階立てのホテル。
日本のパチスロ大手アルゼ社の岡田会長が巨額な出資したことでも有名なホテルなのだ。
内装、ショッピングモール、レストランなど、すべてが、それまでの、ラスベガスのホテルのいいと取りしちゃったような豪華さ。
コンセプトは、重厚、伝統的な豪華さより、コンテンポラリーな都会的ゴージャスさを追求したホテル。
ホテル内には専用の別荘まで設けられていて、従来のカジノにありがちな、昼なお暗くした部屋もなくなっている。すがすがしい太陽光を取り得れた客室で、ゴージャスでしかも、あくまでも優雅。

2008年3月、「トランプ・インターナショナルホテル」がオープン
不動産王のドナルド・トランプが、今度は65階立てのホテルを建ててしまった。
完全に、スティーブ・ウィンに挑戦してるのが、ありありと見えるよーなホテル。
このホテルの特徴としては、実は、ホテルというよりも「コンドホテル」、つまりコンドミニアムで、オーナーは別荘として買ったり、投資目的で買う人も多いため大半が空き室と なっている。そこで、管理会社が入り込み、ホテルとして一般客にレンタルするという仕組みになっているのだ。
NYの5番街のティファニーの隣にある、トランプタワーのコンセプトとも同じ、色もゴールドが基調となっている。
さすがに、室内はアースストーンの、モダンインテリアでスタイリッシュにまとまっていて、落ち着いた雰囲気がある。
トランプの従来のコンセプトをそのまま、ラスベガスに持ってきてしまった・・とも言える気もする。
他の豪華ホテルと変わらず、レストランもスパもプールもあるのだが、唯一の違いは、カジノが無いということだろう。
カジノが無いということは、館内の構造がシンプルで、わかりやすく使いやすいということだ。
そして、コンドミニアムとして使われるということは、常に空いていてゲストはゆったりと施設が使えるということだ。

なぜ、トランプがこのホテルをラスベガスに建てたのかは・・イマイチ不明だが、ラスベガスに単純に進出したかったのか、ただのウィンへの対抗意識からか・・二人は「犬猿の仲」と言われているし、まあ、プライベートライフから想像しても、どう見ても「合いそうもない二人」な事は確かなようだ。

2000年代に入って、ますます、ラスベガスは違った趣を見せるようになってきている。
さて、今後はどう変わっていくのか・・ラスベガス。

あとがき

もともとは、サボテンだらけの砂漠を旅する人のオアシスに、 さまざまなマフィアや山師、起業家、投資家がやってきた。彼らの夢と野望、血と汗と栄光と挫折を繰り返しながら・・・現在のラスベガスに至っている。
歴史からみても、まさに、ギラギラした野望の街なのだ。

現在では、もちろん表立ったマフィアの街では、なくなっているが、いまだに、新たに大きく起業したり、進出するには、その筋に息のかかったものに連絡を取らない限り成功は難しい・・との噂もある。

しかし、多くの旅行者を受け入れ、安全な大観光地であり、最高に楽しめる街であるのも事実。

奇しくも自然の驚異に囲まれたど真ん中で、脂ぎった人間が神への挑戦をしてるような街だ。
おろかで、ちっぽけな人間、されど人間パワー!侮っちゃいけないよ!・・・とウィンクされてるような気がする。

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